【子育てとは】 私のほうが小さなわが子に育てられることかもしれない

目次

大人になっても学びは必要

わたしには、『子育て支援』や『家庭教育支援』の話

ヒト学びから 美味しいものの話を

真剣に延々と話す10歳以上年下の大切な友達がいます。

今日も、昼休みに話し始めて気がつくとあと10分で昼休みが終わる時間に。

子どものころも教育は、ヒトとしてなるために、家庭や学校という場で学びます。

それって、創り上げるための教育、18年間くらいかなぁ。

でも、それって、長い人生の中の、ほんの少ししかない。本当に短い。

そう子どもの時間より オトナになってからの時間の方が圧倒的に多いのです。

オトナになって学ばないってことは、

いつまでも子どものころに学んだままってことと同じかもしれないよね。

ってふと思った。

 

 

 

子育て支援って、しすぎると

親の役割を奪ってしまうものになってしまうのかも。

オトナになっていく

親になっていく

子育てを通して、

忍耐も知り思い通りにならない日々への忍耐力をつけていく。

そうやって子どもによって人としての深みを育ててもらうのではないのかなぁ。

そんな仕組みも、人間の成長としてことなのかもしれない。

 

子供は思い通りにならない

子育て真っ最中 のころ 何1つ自分の思うような時間配分で、

なにかを成し遂げられたことはない。

出かけようとすると服を汚す。

うんちっていう大切な用事の時こそ、熱を出す。

そして、がんばって離乳食作ったとしても食べてくれない。

思い通りになることなんて、ほとんどなかった。

授乳しながら泣いたこともあった。

人見知りの激しい我が子と、誰もいない公園で遊ぶ日々が続いた。

子どもと少しだけ、旦那以外のオトナとは会話をしない日々が続いた。

ほんとに苦しくて辛かったけれどね、

今思えばほんの一瞬だった。

そして、そのたった一瞬だけど長く感じて苦しかった時間を、

一瞬でなかったことにしてくれるのは、息子の笑顔だった。

 

わが子が私を救ってくれた

何度も寝顔に謝る日々がつづいた。子どもの前で泣くこともあった。

だけど、そんな母親を笑っておかーたんだいすきだよって、抱きしめてくれる我が子の存在にわたしの心は救われた。

わたしは、子どもに救われたのだ。

なにもできないわたしを

“母親”として頑張れる大人として育ててくれたのは、 なに1つ思い通りにさせてくれなかった かわいい我が子だった。

 

なんでもかんでも、助けてあげて支援してあげることも

大切なことで 必要なことだけど 親を親という役割を、楽しませて、育むことを手伝うのも

子育て中の〝親を育むという〝オトナの役割“なのかもしれない。

子育てと一緒で、『親としての育ち』の中の苦しいことを全部奪ってしまったら、

それこそ、大人としての学び育つチャンスを奪うことになる。

 

失敗しないように、つまづかないように、危険なこと辛いこと嫌なことをぜーんぶ排除してしまったら、どんなヒトが育つのでしょう。

それは、子どもも大人も一緒のこと。

それよりも、 失敗してもいいし、 やり直せばいい、 手伝ってあげる 一緒にがんばろうね。

そして、あなたならできるよっていったほうがいいと わたしは思う。

やり直せばいいんだよ いつでも やり直せる人はやりなおしみよう、自分で頑張れる人は 少しだけがんばろう。

本当に本当に助けが必要な人に 必要支援が行き渡るようにするために、頑張れる人は頑張ろう。

そして誰かの応援をしよう

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