【子育てセミナー】 親や子どもが自律し自立できる子育て支援が家庭教育に重要

目次

家庭教育とは何でしょうか?

家庭教育とは何だろうということです。

いろいろな辞書を調べると、家庭教育とは過程で子どもに対しての教育だと… 辞書によっては丁寧に、家庭とはこうあるべきだという解説も。

文科省のホームページをみると、お父さんとお母さん、その子どもと、とてもすがすがしく家庭教育支援をアピールしています。

確かに、家庭教育なんていうと そんなイメージ。

しかし、どうですかね、これだけ離婚率があがり、シングルマザーの世帯が増えた状態で、こんな誰から見てもさわやかな親子の様子。

さわやかに親子四人で手をつないで明るい日差しのもと公園で手をつないで歩く、その家庭教育のイメージや支援の在り方ってどうなんだろうって思います。

まぁ そんなことをイメージにしてしまい、それが理想の家族だと表記はしてないけれど、非言語で国民に押し付けているんです。

あんな家庭がいい家庭で、そんな風に手をつないでのっぱらで遊べないわ、そもそも、離婚して旦那なんていないのよ。

そんな、お父さんを奪ってしまった私ってだめなお母さん!て、そうではない自分を責めてしまうかもしれない。

 

親や子どもが自律し自立できる子育て支援は家庭教育

理想ではあるかもしれないけれど、今の時代をいきる、おかあさんやお父さんからしたら夢ものがたりみたいなものだ。

そして、こぞってやってる過剰すぎる子育て支援のありかた。

親から親であることを必要以上に奪いすぎるのもよくないと思う。

これも賛否両論あると思うが。

福祉漬けの子育て支援よりも、親や子どもが自律し自立できる子育て支援は家庭教育だと思います。

ということは、福祉の在り方は、教育でいう過保護や過干渉になってはいけないのです。

福祉とは、黙って見守り困ったりつらかった時に、そっと抱きしめる母のような存在であって、人間の自律や自立を妨げるものであってはいけないのです。

だから、子育て支援は、母親が自律し自立できるものでないといけないし、親子を丸ごと過干渉的に過保護的に干渉してはならないのです。

福祉は大切だけれど、福祉に慣れきったら、それ以上の進歩のある社会はありえないと思うのです。

 

家庭教育と子育て支援は別物

私は、家庭教育と子育て支援は別物だと思います。

教育と福祉は違うのです。

子育てセミナーを開いていて感じることがあります。お母さんたちは、わが子のために、学ぼうとしているのです。

かわいいわが子を育てるということに向かい合おうとしているのです。

しかし、学ぶ場がないのです。

母親は、子どもを産んだ、いや、身ごもった瞬間から親になります。

しかし、親とはどんなものなのかを、学ぶことはないのです。

自分の親からしてもらったことしか知らないのです。

それを思い出していく、そして、目の前の子どもと向かい合って初めて学ぶわけです。

そうすると、時間や肉体的、精神的に経済的に余裕があるうちはその学も考えながら子どもや自分にとって一番いい方法を直感的に実践していくのです。

しかし、精神的に経済的に時間も肉体的にも余裕がなかったら、自分の体験したことをマックスにしか実践できません。

こう考えると、真の家庭教育支援とは、母親の教育なんだと思います。

家庭教育支援が、なんとなくぼんやりとしてきたことはこのあたりに原因があるんだと思います。いつまでたっても、家庭教育とは!家庭教育支援とは!と言い切れなかったのはこれが原因だと思います。

つまり、家庭に行政が介入してはならぬという考え方です。

 

皆で言おう「それっておかしいよ」

よその家庭のことに口出しすべきではないという、誰がした、しなくてもいい配慮、よその家庭に口出ししない社会を作ってしまいます。

口出ししないことが配慮とされ、そしていつの間にか、地域の教育力を失ってきたのだ。

よその家庭のことであっても、子どもの命にかかわること、子どもの育ちにかかわることは、本来ならみんなで、「それっておかしいよ」って言い合わなくてはならなかったはず。

よその家庭に介入しない、見ないふり気が付かないふり、知らないふりで子どもの命が奪われたり、子どもの人格をゆがめるようなことが行われたり、人権が奪われていくのなら、そんな、わけのわからない配慮をやめたらいい。

家庭教育を教えてもらってもいないのに、家庭教育が困難な時代になったとか言われてもね

そもそも最初から家庭教育なんて存在しなかったんではないのかって思います。

地域の中で、地域の大人が、親子ともどもをまとめて育てていっていたのではないでしょうか。そして、また地域の一員として親子を育てていきぐるぐると回っていくような感じであったのかもしれない。

それなのに、なにかあるとすぐに、親が悪いと言って、すべて完璧を求める社会にいつの間にかなってしまった。

私たち世代が子どものころの親は、今の親世代よりももっといい加減でだめだらしなかったのではないでしょうか。

むかしはよかったっていうけど、あのころなんて配慮はないし人権感覚も皆無だし、いじめだってもっとひどいものがたっくさんあった。

そう思ったら、今は配慮も嫌というほどされるし、みんながみんなで監視しあっている。

できたことはほめず、ちょっとしたできないことで全否定されり世の中だ。

そんな中、子どもを育てるってことはあまりにも窮屈すぎる。

そう思うと、なんでもいいんだよ、答えはないんだよっていう、これまでの子育ての方法論はないと思う。

だって、なにかあったら評価されるんだもん。

そうしたら、やっぱり、評価されるならその反対の成果や方法を押しえてよ。

それは自由だといいながら、なにかあると、親が悪いっていうのなら、その時点で「子育ての自由」はもうない

こうしたらいいよ ああしたらいいよってたくさん教えてあげてはどうだろうか。

で、できなかったら、初めて親は責められたらいい

 

 

生涯学習や生涯教育

生涯学習とか生涯教育というならば、母親としてこんなことやったら?とか。こんな時はこうよとか、具体的な方法を学ぶ機会を作ることだ。

それこそが生涯学習だ。

体操したりダンスしたり、カラオケやったりする個人の娯楽よりずっとももっと 教育的だし有効的だし まだ未来に希望が持てる。

絵手紙もいいかもしれんし大正琴もいいかもしれんが、お母さんたちの学びにももっと金をかけてもいいんじゃない?

そしてもっと具体的に子育てのノウハウを伝えたらいい。

家庭教育が低下して困難になったわけではない、そもそもの地域の人たちと 人々の関係性の上に成り立ってきた。

看過しあう力や影響しあう力、交わりあう力の低下が家庭教育を低下させているような気がしてならない。

かかわりあう力がいろんな関係性と絡みあって影響しあってを、はぐくむとするならば…

それこそが家庭教育支援なのではないか。

そのきっかけに親学はあるが、お母さんたちは。もっと具体的に学びたがっている。

共感やつながりの先にはより具体的な方法を参考にし試行錯誤しながら自分なりの子育て方法を探っていきたいのです。

そんなことして…ってむかしのお母ちゃんたちやお父ちゃん世代はいうけれど、はっきり言ってあなたたちの時代よりも、もっと複雑で配慮事項が多く、やることもいっぱいなんだよ!

だから、世代が何十年も違う人が さも知ったようにお母さんたちへ子育て話をしていても腑に落ちないんです。

だって、あの時代と、すべてが違うんです。

 

パソコンも携帯もない時代

専業主婦が大多数の時代

なんでもありの時代

人権侵害も公害もなんでもあって時代

ふるさと教育も総合学習もなく、英語学習のない時代

イクメンやイクボスっていう言葉がない時代

お父さんがお母さんの出産に立ち会うことがない時代

育児休暇や子どもの看病休暇がない時代

そして、家庭教育が大切です!でも困難です!とレッテルを張られていない時代

 

そんなことがない時代を生きた方々に、一体今の母さんたちの何がわかるっていうんだい!

核家族で、遠くから嫁にきている母親の産後ケアが、なぜ必要なのかを理解できないような世代が、子育て支援や福祉を考えるって そもそも無理でしょう、世代が違いすぎると、理解できなくなる。

 

家庭教育支援って昔と今は違う

いまは、お母さんやお父さんの迷いに対して、ある程度の答えを導くだめの知識を伝えないと。

知識がなければ発想も生まれない、その知識を獲得できない状態に、親世代はいるんだからを獲得できる機会を与えるたほうがいい。

そして選択の自由も与えたらどうだろうか、知らないと選べないし、知りすぎても選べない

ファシリテーターの勉強講座があるなら、母親が母親になるための講座があってもいいと思う。

たぶんそれが必要とされている感じがする

未来へつながる おかあさん塾

読むだけでわが子がますますかわいくなる
メールマガジン

子どもとのコミュニケーションの方法
家庭学習のコツ 読者さんからの声など
お届けする無料メールマガジンです。

目次
閉じる