国語の学習は、難しい。しかし、この力をつけたら学習が楽になり、独学ができるようになる
県の学力対策の委員に一般の人が選ばれたのをみて、確か数学算数だったかな知り合いがこういいました
『教員でもない人が、教育を語るなんて!
教育の何を語るのか楽しみだ』と
鼻から、教員でもないくせにという感が溢れているコメントにとても残念になった。
教員でなくとも、教育を語れます。と思うのですが…
その方は、教員でもない人が、ちょっと本を読んだり勉強したからって、自分の教育観を語ったりするのはおかしい。
どの分野でも専門家でもないのに、自分の気持ちを言うのは勘違いだとも。
とすれば、この世の中で、なんとかセミナーとかやってる人たちって、大学で学んだわけではなく独学で勉強されたかたもいる。
カウンセラーも、大学の専門課程で数年間 学んではない人もいるたくさんいます。
独自の方法で活躍されている人や通信で勉強した人もいる。
聞いたことのない一般財団法人認可のカウンセラーなんてたくさんいます。
私の知人の原理では、これらの人たちは専門家ではなくなる。
わたしは、どうしたらよいのでしょうね。教員免許を取得していますが、教員ではないです。社会教育主事の資格は持ってますが、社会教育主事としては発令されていません。他には、社会福士主事?だったっけ?それの任用資格や学芸員の資格も。
ネイチャーゲームとか自然観察指導員とかグループワークトレーニング初級アドバイザーとか…アロマテラピーとか児童心理とか、資格だけはたくさんある(≧∇≦)
がんばったんだぁ(* ̄ω ̄)ノ
新米の教員よりは、社会人としても学習の指導者としても経験はあると思います。子育てもしています。研修も受けています。
でも、教員ではないのでその人からいわせたら、教育観を語るその資格はないらしい。教育を語るにはどんな資格が必要なんでしょうか。
子育てや学習についてや学ぶことの楽しさについて学校の先生しか語れないってのも、ヘンテコな世界だわ。
ということで、独学でも十分知識を得ることもできる!と思います。
頑張って学んでいる人たちのまっすぐな努力を、専門家でもないくせに!
と鼻で笑うようなオトナにならないように 育てたいと思います。
わたしもそうならないように、自分で律していきますね。
それでもそれでも、学びを支えたいなぁ