21世紀に求められるチカラ①
21世紀型スキル・能力といわれるもの、これから求められる「3つのチカラ」とは
①基礎力
②思考力
③実践力
の3つだといわれています。
このうち①と②は、現行の教育でも目指されていました。
これに加えて、③の実践力としての、新たな力が求められます。
この基礎力や思考力は、現在でも十分とは言えない状況です。
また、これらのチカラの2極化がが進み学力の十分な子どもさんと
そうでない子どもの差がますます激しくなっているのが現状です。
その上の実践力というものが求められています。
これらのチカラは、子どもだけではなく日本人全体が乏しい傾向があります。
つまり、私たち大人も十分でない状態で、こういった能力を獲得することが、望ましいとされる教育が目指されるわけです。
教師もこれらの能力を獲得するために必要な教育の方法がどういったものなのか、教師としてのスキルが不十分な状態で始まるわけです。
長い間、覚えることを優先させてきた学習の方法だけではだめだということなんですよね。
あなたの意見を述べなさい。
答えのないものに答えていくことが要求される時代がきましたね。
21世紀に求められるチカラ②
求められるチカラのもう一つは「思考力・判断力・表現力」です
これらをまとめて「思考力」とします。
この思考力は、知っていることと、できることをどう使うのかが大切になってきます。
これらは2011年度から実行されている現教育ででも目指してきていたことです。まだまだ獲得していないといわれていますが、私の印象では、以前より自分のことを伝えることができる子どもは 多くなったと感じています。
活用力というを言葉を聞いたことがあるかとおもいますが、全国学力テストでも、この「活用力」という言葉が使われています。
この活用力という分野なんですが、全国的にこれらのチカラがまだまだ足りないといわれています。
しかし、現実的に学校現場で、十分にこれらの学習がなされていないのではないかと感じています。
しかも、この活用力の基本は、やはり「基礎的な学力」であってこの「基礎的な学力」が十分でないと、「活用するための知識がない」という状態なのではないかと感じています。
アクティブラーニングと流行っていますが、基本的な知識や体験・経験がないと学習を進めるにあたって 先に進むことができない問題が生じてきます。
つまり、思考するには言葉や知識がないと、思考する材料、エネルギーがないのです。
これまでは「論理的思考」といわれていましたが、これからは
「問題解決力」
「想像力」「発見力」「発想力」
などがあげられます。
2020年から導入される大学入試では、これらのチカラがすべて必要になってきます。
大学に入学するために判定されるものが、これまでの「知識」だけが「思考力・判断力・表現力」などが判断されるのです。
そうすると、高校までにこれらのチカラが身についているのかが判断されるのです。
2020年から導入される新大学入試は「高等学校基礎学力テスト(仮称)・大学入学希望者学力評価テスト(仮称)・各大学における個別選抜」の3つになりそうです。
これらのテストで3つのチカラを評価していくのです。
しかし、ずいぶん当初の予定が遅れ、実際に本格実施は現在の小学校4年生が該当する2024年から実施になります。
そしてこれらの思考力を身に着けるためには、小学校からではだめなのです。
わたしは、これまでたくさんの小学生や中学生を見てきて、ある時期の子どもへのかかわりが重要であると確信しています。
生まれる前から取り組める、脳育てを始めたい
賢い豊かな子どもを育てたい!
21世紀に求められるチカラ③
三つ目です
実践力です。
よくグローバル社会へ向けてといわれますが…グローバル社会と言い続けてもう相当たっています。
国際化なんて言葉に惑わされて、英会話になんて通ってみたけれど、なかなか…話せるようにならない。
国際化 グローバル社会=英語力、ではないことを先に言っておきます。
まず、英会話 英語力だけではありません。
英語は日本語と一緒でツールであって、それそのもので成り立つことはないのです。
英語教室や英会話教室はそうですが…
よく、グローバル社会に必要になる、世界の多様な人々と協力し合って課題を解決する…
とこの3つ目のチカラについて述べられていますが、この”実践力”は世界に限らず、今、自分が生きている身近な人間関係の中で、人とかかわったり、問題を解決したりできる、「主体性」と「コミュニケーション能力」を惜しみなく発揮した「社会参画力」の総称です。
つまり…
学びに向かう力でしょうか。
日本の子どもは、「主体性」や「社会参画力」が苦手だといわれています。
当たり前です。
「あなたは子どもだから」
「子どもは大人の言ったとおりにすればいいから」
「どうせ子どもだからできないから」
「親の言うとおりにしていればいいから」
と育てられてきた時代があまりにも長かったんです。
いま子育て真っ最中のお母さん
「あなたは好きなようにしていい」
「いい意見だね」
「あなたのことを尊重するよ」
「きみならやれるよ」って
育てられました?
だから、日本の子どもは「主体性」「社会参画力」が乏しいのは当然です。
主体性・協働性・人間関係形成力・社会参画力などなど…
個人のチカラとして求められる…
どうでしょう。大人にも求められているんです。むしろ大人のほうが苦手かもしれません。
そう…子どもに求められているってことは、オトナにもそれを理解することを求められていますし、わたしたち指導者のにも同様にこれらのことの理解を求められています。
教師にもです。
しかし、私や教員のほとんど大人は、こういった育ちをしていませんから、ついつい、子どもの可能性をつぶしてしまうのですよ。
主体性いいながら、主体的な子どもに静かにしなさいといったり。
ここで、これらのチカラを獲得するための学習方法として、「アクティブラーニング」が注目されています。
もともと大学を中心に 行われていた学習方法を、一気に小中学校にも持ってこようとしています。
さて、これらの学習法は、指導者側のチカラも相当試されます。
グループの調べ学習のようなものなんですが、グループ内で話し合ったり教えあったりするわけです。
どうでしょう…
目に浮かびません?
一部の子どもだけ一生懸命やる
一部の子どもが自分の思いどうりにする
一部の子どもは遊んでいる
これまでだってこんな学習方法はあったわけです。
総合学習です。
この総合学習…きちんとやれている学校がどれほどあったんでしょう。
この総合学習だってこれらのことが目指されていたはずなんです。
学習の体裁を整えるだけで、本来の学びの狙いは達成できたのだろうか…と疑問になります。
調べた内容が目的なのか
調べて発表することが目的なのか
調べる過程が目的なのか…
指導者側がそれを理解していないと、ただの昔やってた 調べ学習と変わらないのです。
パソコンで調べてそれを用意したワークシートに書き込ませて終りなんてことがあったはずです。
もっと最悪なのは、せっかく調べたものを、発表させたりしないとか…
途中で終わってしまうとか…
どうでしょうかね。
教師側が その学習法の効果を十分に発揮できるような指導ができなかったら、このアクティブラーニングも、総合学習も一緒なんですよねぇ。
しかも、話し合ったり教えあうにしても、そもそも、友達の話していることが、理解できなかったら…教えあいにもなりません。
これらを成り立たせるためには、やはり、「基礎学力」や「学習への意欲」「自学力」「自信」が大切になってきます。
それと「表現力」でした。
てことは、アクティブラーニングを成立させるためには、ある程度の基礎的な学力の獲得が前提となり、なんでもかんでも できるってわけではなさそうです。
あなたはどう考えますか?と問われて、よくわかんない…ではスタートラインにも立てないということです。
この学習方法はすべての教科で導入されます。
新しい教育に無理なく 対応できるようにするためには…何が必要かを考えると
日々の生活を大切にすることだと思います。
これらの能力は、計算のように漢字学習のように すぐに身につけることはできません。
計算や漢字・英単語は やればやっただけ、身に着けることは容易です。
しかし、これら21世紀型スキルは、大げさに言うと、
生き方そのもの
育ちそのもの
生まれてすぐから 磨き上げるもの…ではないでしょうかねぇ。
どのように社会にかかわるのか・世界とかかわるのか学びに向かうのか、何を知っていて何ができるのか、知っていることとできることをどう使うのか、これらを学校だけで獲得するのは正直、むずかしいと感じています。
学校において安易に、ディスカッションやディベートなどに重点を置くと、型にはめたやり方で、これまでの学校教育と何ら変わりのないものになっていきます。
ヒトとのかかわりや、思考力・判断力・表現力・学ぶ楽しさを、このアクティブラーニングから学べたらいいですね。
一番言いたいことは、わたしたち大人世代も体験していなくできていないことを偉そうに、評価しようとしているってことを理解してほしいと思っています。
だから…保護者の皆さん、大人のみなさん、未来をつくる子どもたちを、旧型の教育価値観でつぶすな!!と
言いたいのです。
新型教育価値観なのですから…長くなりました。