親子の勉強ワークショップ
親子の勉強ワークショップを開きました。
子どもさんと一緒に勉強します。
その様子を私は、学習の指導をしながら観察します。
いあうもで開催したため、松江まで、運転しながら今日の状況を振り返り、
どうしたらよいのかどうするのかを考えていました。
あるお母さんから、「子どもの字が汚くて…」というお話を聞きました。
家庭学習でのあるあるですね。
子どもの字が汚くて何度も書き直しをさせる話、みなさんあるあるではないですか?
あまりに汚くて、ついイラッとして全部消したりしてみて…
しかも怒り口調で、「もう一回やり直し‼」なんて言ったりして。
わたしもありました。
はい…言いたくなります。「なにその字?!」っていっちゃって、字の綺麗な子をみて「なんでうちの子は…」と、字が汚い子は、わりと男の子が多いような気がします。字を綺麗に書くこととか…ってなぜかこだわってみたりするし、学校も結構うるさく言う。 なぜうるさくいうかって理由はいろいろあるんです。
まあ、一番は自分が困るということが一番かもしれませんが、大人の都合のような気がします
字汚くて恥ずかしい思いをするのは本人
字汚くて恥ずかしい思いをするのは本人なんですから、ほっとけばいいんですとは、言いすぎですが…
字も計算と一緒で、わかりやすいから、評価も簡単にしやすく、字が綺麗=勉強ができる、計算ができる=勉強ができる、イメージがありますが、イメージですから(≧∇≦)
字が汚くても、かしこい子どもさんいっぱいいますし、字が綺麗でも勉強まぁまぁなこといます。
しかし、手で書くということが苦手なだけで、その子は勉強はできないわけでもなく、意欲がないわけでもないんです。
ここ大事ですよ。
字が汚いと勉強に対する意欲は、比例ではありませんから。
ただ、字を書くことが億劫なだけなんです。
いや、周りが億劫にしてしまったんですよ。
『字が汚い!丁寧に書きなさい!もっとまっすぐ!もっと小さく!もっと大きく!』と
小学校低学年で言われ続けたらそりゃあ、嫌いになります 必ず!
それを言われ続けて 字を書くことが好きになる子って いるでしょうかね(o^^o)
小学校低学年って、まだまだ、学校って楽しいなみんなと一緒に勉強楽しいなって思ってるだけでオッケーだとおもんだよね。 だからといって遊びだけはダメだけどさ。
勉強って楽しいなっていうことでオッケーなんです!
書写コンクールや硬筆コンクールの時期になると、
そのために、全学年書写や硬筆で、うまく書かせるためにめっちゃダメ出しをする この時期だけ きちんとかかせたいならば 週一でやればいいのに(≧∇≦)で、たまに指導するしかないのに、めっちゃ厳しくやってあげるんだよ やめたらいいのに、書写も硬筆も絵画コンクールもなにもかも、あれってなんとか協会の為に学校が意味もなく協力してるだけでしょ〜。なんか、意味があるかなぁ。
夏休みの宿題って意味あるの?
思い出した! 夏休みの宿題の、読書感想文も貯金箱も工作も 農業に関する絵も税金に関する絵も、水などなど、それらに関する課題も全て、某なんとか協会とか農業団体とかの自己満足のためにやらされてるだけですから。
学校もやめたらいいのに、そしたらみんなが、 絵がうまいとか下手とかなんか 評価しなくていいところで 評価されて、できない子はいやになっていく。夏休みの宿題やりなさい‼て、夏休みの親子関係が悪化する。ますます勉強も課題をすることも嫌になる。代替、親がやってるんだってば‼
理科の科学実験のいつも金賞を取る子、お母さん必死でやってますから(笑)
誰の課題なの?って感じです。
話がそれました
出来ない子供を責めてはダメ
親は、できない自分のことを棚に上げて、できないと思い込まされてる子どもを責める、やめやめー。
評価する必要ないところを評価するならば、評する視点を子ども達にちゃんと教えてよ〜
でも その評価いりませんからぁー
うちの子も、字が雑で 小1の時に 先生に学習障害を疑われたけど、今、きちんとかけているので大丈夫。
今思えば、1年生ですからぁ〜(≧∇≦)まだまだまだ、伸びしろの方が圧倒的に有り余ってるお年頃ですから!
10歳、いや小学生までのところでは、1、2年の成長のギャップは当たり前よ。
できることとできないことの差は大きくて当たり前当たり前だしむしろできることとできないことがあって当然なことなんですよ。
みんなみんなみーんな
字を書くことに対しての自己肯定感が低いことで、学習全体に自己肯定感がなくなっていく方が、コワイと思いませんか?
その方がコワイですよね。
今は、ほとんどパソコンですしね。それに、インクルーシブ教育という取り組みもこれからどんどん学校現場に導入されていけば…
まぁ、でも、島根はすっごい遅れてる!遅れてる!遅れてるので
先生がたが対応する頃にはきっと今の子どもたちは、大人になっているかもしれませんね〜
字が汚くて〜〜 と嘆いている保護者の方々、これは、親の忍耐です
見守りましょう。そして、しからずに、 うまい字だけを褒めましょう
汚くて、不満でしたら、スルーしましょう、宿題をやったことだけを褒めましょう。
宿題ちゃんとやったんだ、評価はしない。
そして、言いたいことはがまんです!
綺麗にかけている字が、奇跡的にあった場合…
褒める! この字、うまいじゃーん♪見直したぁ いい字だねって
それだけでおっけー
評価するのは 先生です。先生から叱られ親からもいわれたらねぇ。いやよね…きっと
他の教科もちゃんとできてるし、私の質問にも確実に答えられる。耳から入った情報で指示が通る、なんて素晴らしい!
わたしには、とってもすごい子にしか見えなかったのです。
お母さんの思い悩む 子どもの評価は、 学校からみた評価ですから
学校からみた評価が 人生のすべてであり、 最高の評価機関ではないんだ!って思おう
なかなか、おもいにくいですが…
すでに世の中の大半は、学校の評価が全てだという この考え方に洗脳されてますからね。
学校は、広い社会の中の一部、一部なんですよ。ちっさいちっさい世界なんですよぉ。井の中の蛙大海を知らずの井の方なんですよ。そして、この日本も井なんですよ〜
しかも、閉鎖的な 社会だし 学校を 小さな社会だといいますが… 価値が偏った世界だよ。
四角のものは四角でないといけない社会です。
そうでないと、指導がしにくいからです。子どもはみんな平均的でないと、指導しにくいんです。実際そうですもん。
塾でもそうですからね。でも、うちは平均化しません。だって、学校じゃないし。それぞれでいいんだってことを、思い知らせるための異年齢塾なんですよね。話しが随分とそれました。
でも、学校によって差があるんです。しかも、先生によってころころかわります。
特に、校長先生によってこれまた変わるんです。
学校で優秀=社会で優秀とは限らない
それとも1つ
学校で優秀なやつが 社会で優秀というではない
学校での成績がいいやつが 実生活の常識を知らなすぎ〜〜と思うこと山のようにあります。勉強はできても、思いやりがなかったり自己中心的だったり、勉強できないやつを馬鹿にしたり、学校名で人を評価したりするのも見てきた。
学校の先生たちだって知らないこといっぱいありますし、 むしろ一般社会のことは親のほうが知識豊富だったりします。
人は、それぞれに得意分野があってできないこともできることもいっぱいあるんです。できないことにフォーカスしすぎると、自己肯定感ががくーんと落ちてしまうんですよ。
ただ、残念かなぁと思うのは 先生たちの評価する視点が、じつは子どもの可能性を潰しているかもしれないと思えることを、よく聞くなぁ。
普通の先生たちが、天才な子どもたちの能力を潰しているかもしれない。これ最近思うんだよなぁ。
普通の先生、これポイント。自分は、普通と思ってなくとも普通子どもに対して、なんと障がいの疑いがありますからって、軽くいっちゃうとかが、大天才で、可能性のある子どもを理解できずに潰す残念なパターン。
あるあるだとおもう。
それに親が同調して、一緒になって潰しているかもしれない。島根の学校の先生たちの学力を超える子どもを出すためには、島根の先生の価値観や学力だけではきっとダメだよね〜って、思うときがある。
普通の先生を超えらんねぇ〜〜 みたいな。島根の学力を考えるときに、いろいろ考える。
人は、経験したことしかわからないならば…そういうことじゃない?
あえてこれ以上書かないけれど。
島根の学力を今よりも超えるためには、島根の先生以上の先生が必要じゃない?って (≧∇≦) いやな言い方だけど そうなのかもなぁって。
その、採用する先生たちの学力も影響するんじゃない?とかね考える。それこそ、出身大学によって能力は違うんじゃない?ってそしたらさぁ、島根の学力をもっと上げるには、今の出身大学のレベルを上げるとかさ〜っていう、単純な話にもなるわけですよ。これって、勉強できる奴がすごくて、とか学校で教える価値観にのったらそれだよね。
学力あげたかったら 学力高い大学出身者の教員をもっと増やせ的な感じ?
またまた話が大幅に増えた。
最近言われるんです。センセでもない人が、学力や教育を語るってつい… カチーンですよ。すみません、感情はいってます。
わたしは、おバカだし島根の先生たちよりも勉強はできないし、大した大学もでてない。
子どもってすげーって思わされて、いつもその可能性に打ちひしがられる。この小さい人の、どこをくすぐってやろうかと、どの部分が面白いポイントなのかと考える。そんなことしかできないから。
子どもたちのまだ10年未満の経験値などは どうとでもなるんだよね。
せめて親だけでもそう思おう。受験などのイベントで そうも思えなくなるけれど、人生取り返しのつかないことなんてないのかもしれない。
切り替えていこー!
折れない子どもたちを育てよう