自己肯定感が下がっていく理由
先日松江市立城北小学校でもお話ししましたが、学校教育の中に子どもが身を置き始めると、自己肯定感が下がっていくと同時に、ほめることよりも、叱ったりできないことを、咎めたりしだす。
なぜだろうと考えてみた。
これから書くことは、科学的根拠はない。相対的な根拠で感覚的というか、経験的なものなので参考になるのかどうか。
ただ、私は自分自身の経験、自分の子育てした経験、塾・セミナーで出会った子どもたちと出会った経験からこう思う。
生まれたころの子どもは、ただいてくれるだけでよかった
手を挙げた・声を出した・笑った・ごはん食べた
寝返りした・ハイハイした・立った・歩いた・しゃべった
と、すべてにおいて、オールオッケーでした。
でも、子どもが2歳ころになり自我が芽生え始め、自分の意思を主張し始めたころから親は、悩みが出てくる。
子どもの行動が自分の思い通りにならなくなってきたころから…これらのなやみを持っている。
そうして、保育園や幼稚園に入ると、なぜか、自分の子どもの出来ないことに目がいってしまう。
お母さんが子どもを追い詰めている
あの子は、こんなことができるのに、どうしてうちに子は…
あの子はいつもみんなと仲良く集団で遊んでいるのに、どうしてうちの子は…
まだ、できない!なんでできないの?
子どもをできないことで追い詰めていく。
そして、子どもの心を傷つける
そうすると子どもは、できない自分なんて馬鹿だと思ってしまう。
馬鹿ってことばは本当に心が傷つく。
うちの子が小学生の時に、こんな風にいっていました
「アホっていわれても、ふざけていたり愛着を込めているんだと、なんとなく感じる。でも、馬鹿は、すべてを否定されたような気になる。心が痛い。もう無理だ」すべてを否定されてしまう。
できないことにフォーカスしすぎて、できることが何にも見えなくなって、自分は、何にもできない、馬鹿だと責める子どもになってしまう。
自分で自分の可能性をつぶしてしまうのだ。
学校に行き始めて小学校3年生頃になると、今度は、勉強のできなさに追い込まれる。
わたしは、3学期あたりに、その学年全体の学力がついていたらオッケーだと思う。
だいたいそのころには、一学期や二学期の内容を理解していたらいいだろうと思っています。
しかし、3年生あたりから、少し内容も難しくなっているように感じるし、子供も学校に慣れてしまって、生活も雑になったりする。
口ごたえもできるようになり、手に負えなくなる。
そうすると、親は、親という力で子どもたちを押さえつけようとしだす。
まだ、親にはいい子を見せるお年頃なので、おうちではいい子、その反動が学校で出る、勉強は難しい…叱られる、親にも先生にも叱られる。
自己肯定感ダダ下がり
四年生あたりから、さらに勉強も複雑化していくように見える。
学校のテストなんて その時の理解の度合いを測るもののはずなのに、そんなものに一喜一憂して、その時にできなかったことで、全否定のように子どもをせめてしまう。
そして、子どもの頑張りを踏みにじり、子どもの心を踏みにじり、子どもの自己肯定感や自己有用感をへし折ってしまう。
そして勝手に、悩んでいく。
年齢が上がるにつれて、親子関係の悪化の原因は、学習することに影響されると感じました。
こうして、しっかりと自己肯定感をはぐくまなくてはならない時期に、肯定感をへし折られ、勉強で責められ、嫌いになった子どもたちが、中学校で勉強すると思いますか?
自ら考えて行動して学ぶ子になりますかね?
叱られながら勉強した子が、中学の勉強を楽しいと思いますかね
私は思うのです。小学校のうちは、勉強って楽しいんだなぁでいいんです。
勉強嫌いにしてくれるなって思うのです。
そして、お母さんお父さん、いや、オトナのみなさん、自分は勉強嫌いだったって、威張って言わないでくださいね。
それ暗示ですから、大好きなお母さんが嫌いだったもの、好きにはなれませんから。
せめて、ぜんぜんわかんなかったけど、嫌いではなかったわよ。
くらいでお願いします。
なんでできないんだって言わないようにしましょう
私も含めて、おとなは…
だってできないのが子どもだから